無知の知【「あー、それ知ってるよ」の落とし穴 】 ~群盲象を評す~
こんにちは、tomaです。
「無知の知」という言葉をご存知でしょうか。
哲学者のソクラテス氏が言った言葉だそうです。
自分自身が「無知」であることを
自覚していた方が、
新たな学びを得られるよね^^
という感じの教えです。
「無知の知」って、
出来そうで出来ない事だと思いませんか?(;´∀`)
私は誰かの話を聞いてても、
「あー、それ知ってるよ」
とか、つい言っちゃいます(;´∀`)
同じような話でも、
人によって様々な視点や解釈がある事を踏まえると、
「あー、それ知ってるよ」
という返答はとても愚かなのかもしれません…。
👇図をご覧ください。
この図は「群盲象を評す」というもの
(昔のインド人が考えたらしい)。
目の見えない人たちが、
それぞれ象の一部分を触って、
あれやこれやと言っています。
「ヤリだ」「ロープだ」「ホースだ」「木の幹だ」「壁だ」「うちわだ」
全体が見えている人にとっては
滅茶苦茶に感じますが、
それぞれが、
一部分の手触りだけで判断している事を考えると、
仕方がないと思います(;´∀`)
ここで重要なのが、
この6人の盲者たちが「私たちそのもの」だという事です。
私たちは、
全体が見えているつもりになって、
自信満々に「これはロープです」
とぬかしたりします。
他の人が「これは壁でして、つまり…」
と話し始めても、
「あー、それ知ってるよ。ロープでしょ(・∀・)」
と言って、
まともに聞く耳をもたなかったりします…。
お互いに深い所では話が全く噛み合っていないのに、
理解しあえていると勘違いし、
決して交わる事のない、
「言葉の一方通行」
が繰り広げられているのかもしれません…。
ちょっと言い方が悪いかもしれませんが、
私たちの会話は、本質的に、
「ボケた老人同士」の会話と、あまりかわらないのかも。
Aさん「今日はいい天気ですね」
Bさん「そうですね、みかんは甘くて美味しいです。」
みたいな…。
結構ゾッとしませんか。
だからせめて、
自分が盲目だという事を自覚したい。
つまり「無知の知」でありたいと、
私は思います。
「これはロープだ」
と思いつつも、
人の話をちゃんと聞いてみる。
すると、これは
ロープだし、ヤリだし、ホースだし、木の幹だし、壁だし、うちわだし、…。
という事が分かってくる。
1の事象に対して、1つの視点だけで判断するよりも、
6つの視点を持てた方が、
より本質に近づけるように思います。
直接「象」を見る事が出来なくても、
多角的に(多くの視点で)観る事で、
「ひょっとしたら、これは象なのかも…」
という事が類推できるかもしれません。
だから、
「あー、それ知ってるよ」
が出てきそうになったら、
「ちゃんと聞いてみよう」
に変換してみたらよいのかも(´▽`)
きっと、
知らない世界が見えてくると思います(´▽`)
参加したい方は、遊びに来てください👇