心・体・社会をつなげる デタラメ研究所

健やかに生きる事を目指して…。

いじめっ子に宿る、数パーセントの温かい祈り ~被害者面をやめると生まれる新たな視点~

こんにちは、tomaです。

 

集合的無意識の話」を途中で放置していますが、

 

イムリーな話題を優先して書いてまいります^^

 

 

今日、Fさん(自称いじめられっ子)と話をしたんですが、

 

「いじめっ子って、案外悪いやつじゃないのかも」と、

私が思ったので、

今回はその話です。

 

 

「いじめっ子」は、

人にちょっかいを出したり、

暴行を加えたり、

罵倒したりします。

 

他にも色々パターンはあると思いますが、

どっちみち、ひどいもんです。

(陰湿なやつは除いて、話をします。)

 

 

そして、

ターゲットにされるのは大体、

「ボケーっとした子」

「リアクションが薄い子」な気がします。

 

(可愛い子や能力が高い子など、

 嫉妬からくるいじめの話はまた別の機会に。)

 

 

いじめっ子は、ただ単に

弱い子をいじめて「優越感に浸りたい」

という醜さを持っていたりしますが、

 

ちょっと見る角度を変えると、

美しさもある、

と思えてきます。

 

 

 過去記事で、

「私」と「他者」はつながって(重なって)いる、

という話をしました。

kokaken.hatenablog.com

 

「私」というのは、

単独で存在することは出来ません。

 

必ず、周りの人との重なり(関係性)

によって成り立っている、

相対的な存在です。

 

 

これを、

「いじめっ子」「いじめられっ子」

の話に置き換えると下図のようになります。

 

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緑の部分は、二人の関係性です。

 

お互いに自分をさらけ出し、

相手を感じようとすると、

緑の部分が活きます。

 

 

しかし、

A君が自分をごまかし(ボケーっとして)、

B君の事を感じようとしない場合、

下図のように、関係性が死にます。

f:id:toma1990:20190615043450p:plain

 

実はB君は、A君と関係性を築きたくて、

いじめ始めるのかもしれません…。

 

 

つまり、会いたくて会いたくて

いじめるのかも…。

 

ボケーっと腑抜けたA君ではなくて、

人間らしく、生き生きしたA君に会いたい。

 

自分と共通点のある、A君に会いたい…。

 

 

(暴力を肯定する訳ではないのですが)

B君の暴力の奥には、

「おーい、嘘つくのやめてくれ!」

「こっちを見てくれ!」

「目を覚ませー!」

「会いたいんだよ」

 

という祈りがこもっているのかもしれません…。

 

 

そもそも、

B君にそういう温かい気持ちがなければ、

さっさとA君から離れて(重なりをゼロにして)、

 

他の友達と遊べばよい話です。

 

 

そこをわざわざ絡みにいっているのは、

「A君と会いたい」

という温かい祈りがあるから、なのでは?

 

 

「いじめる」という行為の汚さの中には、

「会いたい」という数パーセントの温かい祈りが

混じっているのかも。

 

 

そう思うと、

「どっちが悪い」とかいう話じゃなくて、

 

「会おうよ!」

 

って思います。

 

 

「私はいじめられている!」

と思っている人も、

一度被害者面するのをやめてみると、

 

新しい世界が見えてくるかもしれません(´▽`)

 

 

 

毎週、金土の夜9時~、シェア会してます(山梨県甲府市)。

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