氣の源をたどると…② ~争いの効用、戦争の効用。~
「氣」の源を探求してみます。
生命活動に欠かせない「氣」の源は、「米」
そして、
「米」の源は、「稲」と「稲妻(イナズマ)」
「稲妻」は、「天と地の電気的交流」の事なので、
私たちの生命力(氣)の源は、
「(天と地の)電気的交流」です。
では、天と地の電気的交流はなぜ起こるのか?
て話なんですけど、
👇こんな感じです。
積乱雲が発生し、
雲の中では、
小さな氷の粒同士がぶつかり、摩擦し合って、
静電気を帯びます。
雲の下側で-電荷を帯びると同時に、
地面では+電荷を帯びます。
すると、
ドカーンと、落雷します。
【天と地の電気的交流】
雲と地面が電気的に中和されるまで、
(大体±0になるまで)
【天と地の電気的交流】が続きます。
まとめると、
「氣」の源である「天と地の電気的交流」の源は、
氷の粒の「摩擦」と「ぶつかり合い」
👇こんな感じですね、はい。
👆これが、「氣」の源であり、
生命の源でもあるかもしれない。
「摩擦」「ぶつかり合い」
「争い」「戦争」
が、生命の源かもしれない。
人と摩擦し合い、争う事で、
電位差が生まれ、
電気的交流(氣)が生まれる
のかもしれない。
だとすれば、
戦後日本の教育の中心にある、
「二度と、戦争を起こしてはいけない」
「人と、争ってはいけない」
「空気を読んで、自粛しましょう」
という教えは、
「氣」や「生命力」を奪う教育だと、
解釈出来ます(;´Д`)
もっともらしいからこそ、
タチが悪いですよね。
その教育の結果、
戦争が起こり続けているのに…。
GHQ…、
もちろん、個人的にも、
平和な世界を望んでいますが、
人との摩擦や争い自体をなくしてしまうと、
そもそも生きていけない。
(氣が発生しない)
だから、「摩擦」や「争い」はOKとして、
その上で、
「美しい摩擦の仕方」
「美しい争い方」
を模索したら良いと思うんですね😃
自分自身にも、
悟ってる風(相対主義)な人たちにも言いたい、
「争いから安易に逃げてはいけない!」
「それは、平和主義の仮面をつけた、ただの怠惰かもよっ」
「別に、どっちでもいい…、 ていう考え方は、
ボケ老人とほぼ同じ」
「切磋琢磨の道を模索する努力って、
すごくカッコいいよ」
動こう!
電位差を生み出そう!
生命力(氣)を生み出し続けよう!!
完。